「TV-Watch」2000年5月分

 

わたしが見たテレビ番組の感想を適当に掲載していきます。雰囲気としては、喫茶店の隅で仲間が集まり、見たばかりの番組をネタにして、勝手な放言をしているという感じです。読んだ人は、メールなどで反論をよこしたりしないようにしてください。ただし、事実誤認があれば、それだけは指摘に応じて訂正するつもりです。それ以外のクレームはいっさい受けつけません。


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2000/05/01 (Mon)

「トキオくん」テレビ東京 毎日(月−金)16時55分〜17時
 東京都の広報番組。以前はすごくお堅い内容だったが、石原都知事になったせいか、しばらく前に、いきなり切り口がお笑いになった。まあ、基本は真面目に広報しているのだが、シナリオは漫談のそれである。しかも、けっこうおもしろい。演じているのは「MODOKI」とクレジットされている人。誰だ? 地方自治体の番組なのに、平気で会社名や商品名などの固有名詞をだしてくれるし、イベントなどを紹介していくリズムもいい。石原都知事を「ボス」と呼ぶのは、この番組だけだろう(MXTVにはあるかもしれない。でも、テレビ通信販売以外のプログラムを見たことがないので、知らない)。問題は、トキオくんのCGである。これがもうひどい。せこい。パターンがない。主役でしょ。予算の都合もあるとは思うが、もう少し表情や動きにパターンを増やしてくれないかな。理想は「ランク王国」のラルフとしておこう。




 2000/05/01 (Mon)

「er 救急救命室」NHK衛星第2 毎週月曜日23時〜23時50分
 第5シーズンに入り、すっかり内容も安定してしまって、とくに書くこともない状態だったが、今回はおもしろいせりふがあった。
 いくつか並行して進むエピソードの中に、寮のアドバイザーになったカーターくんが、インターンのルーシーに医学部のハロウィン・パーティの管理をまかせたところ、学生ふたりが酒とドラッグをちゃんぽんにして人事不省状態に陥るというものがあった。「(パーティの)責任者はきみだぞ。中止しろと言ったのに(パーティを)つづけて、急患をふたりもだしてしまった」とカーターがルーシーを非難すると、ルーシーは「監督不行届きは、わたしの落ち度でした。でも、寮のアドバイザーとして先生にも責任があります」と言い返すのである。このせりふがおもしろい、これは日本のドラマにでてくることのないせりふだ。耳にして異様に感じた人も多いことだろう。だが、世界的に見て、異様なのは「事実検証もしていない段階で、何もかもすぐに謝ってしまう日本人の反応」のほうである。「アメリカでは交通違反など、明らかに自分が悪いと思っている事件を起こしても、絶対に謝ってはいけない」とよく言われる。ルーシーのせりふは、その実体を裏づけるものなのだ。これを言っておかないと、裁判になったとき、すべての責任がルーシーに降りかかってくる。アメリカというのは、勝手に騒いで勝手に倒れた学生ふたり(本人もしくはその家族)が、飲酒やドラッグの服用を止めてくれなかったといって管理責任者に対し、裁判を起こす可能性が十分にある社会だ。謝れば、謝った者に賠償責任が生じる。とりあえず「すみません」と言うことで、「謝っていただければ、十分。今後は注意してください」と、なあなあの形で話が終わってしまう「和」の世界ではない。「謝ったのなら、あなたがすべて悪いということを認めたことになる、では、他の人には何も責任がないので、あなたが全部償ってください」と責任がさらに追求されていく環境なのだ。むろん、これはアメリカだけではない。世界の常識がおおむねこのとおりになっている。事実を綿密に検証することなく、ただひたすら政府に謝罪外交を要求したりする無責任なマスコミや、それに迎合して謝罪外交をしたがる外務大臣なども存在するが、世界でそれをやることがどれほど異様なことかを、この一言のせりふははっきりと示している。日本人が感じる「異様」は、世界の「常識」なのだ。ルーシーは自分の責任範囲のみを限定して認め、それ以上の責任はアドバイザーにあると、はっきり主張した。それをカーターも即座に受け入れ、異を唱えなかった。ルーシーの言葉につづくカーターのせりふはこうである。
「そのとおり。責任者はぼくだよ。きみに監督できる力があると思ったぼくが馬鹿だったんだ」
 どれほど大きなミスを犯したとしても、論理的に主張できる部分があれば、必ずしておく。それが個人の身に完全に染みついている社会とは、こういうものなのだ。それを今回の「er」は鮮やかに見せてくれた。こういうやり方、日本国内においては違和感があるかもしれないが、国際社会にあっては、こうでなくてはいけないというモデルのようなものである。ぜひ覚えておきたい。




 2000/05/03 (Wed)

「ラブひな」テレビ東京 毎週水曜日22時28分〜22時54分
 歴史的仮名遣い、でたらめ。やっているほうはギャグのつもりかもしれないが、これは単にスタッフがおのれの馬鹿を全国にさらしているだけである。かつて相原コージが同じことをして読者の笑いものになった。実にみっともない。




 2000/05/04 (Thu)

「世界の名曲物語 風に吹かれて〜アメリカ」NHK総合 21時45分〜22時
 この連休中(3日〜5日)だけ放送されていた番組。「にんげんドキュメント」のスタジオ・ジブリレポートを見ていて、その流れでそのままチャンネルを替えずにいたら、はじまった。もしかしたら、衛星か何かで定期的に放送されている番組なのだろうか。ボブ・ディランの「風に吹かれて」が生まれ、それがピーター,ポール&マリーの歌唱によって知られて、世界に広まっていくまでを当時の世情とともに描いた小品。PPMは、まさしくわたしの青春そのもののアーチストである。ボブ・ディランの原曲をピーター・ヤーロウがどのようにアレンジしていったかを語る部分がとくに興味深かった。わずか十数分でこれだけの内容を構成し、映像作品として完成させたディレクターの力は並みではない。いい偶然で、いい番組を見させてもらった。




 2000/05/05 (Fri)

「スーパーフライデー 超奇跡の世界三大魔術スペシャル」TBSテレビ 19時〜20時54分
 Mr.マリックの魔術ショー番組。タイトルは派手だが、でてくる魔術はテーブルマジッククラスの小品ばかりである。外国からつぎつぎとイリュージョンのマジシャンが来日して日本公演をおこなっているさなか、こういうタイトルで、こういうマジックの番組を流すTBSは、いい度胸をしている。とはいえ、マリックの魔術そのものはすごくいい。わたしは大好きである。だから、つい見てしまう。メインのヒンズーロープ(ロープが天に昇っていくマジック)もひじょうによかった。いやらしいタイミングでCMを入れたがるくどい演出と、騒がしいアナウンサーの存在には少しうんざりしたが、ロープ登攀役に猿まわしの猿を使うなど、見せ方は実におもしろい。願わくば、つぎはもうちょっとイリュージョンに振った大がかりなマジックをやってもらえないだろうか。それができないマジシャンではないはずである。




2000/05/05 (Fri)

「世界の名曲物語 カントリーロード〜アメリカ」NHK総合 21時45分〜22時
 惜しかったなあ、これなら1回目からきちんと見ておけばよかった。1回目は何を扱ったんだろう。「カントリーロード」はジョン・デンバーの言わずと知れた名曲だが、わたしには「耳をすませば」の主題歌としても、印象が深い。本職の歌手ではない人が歌ったため、多くのファンからぼろくそに叩かれた本名陽子の「カントリー・ロード(こちらにはナカグロが入っていたので、それに従う)」だが、あれはあれでいいとわたしは思っている。音痴を自称する子がいきなり歌わされたという設定なのだ。その歌い方でも、強いイメージを喚起させる曲として、「カントリーロード」の魅力は、あらためてわたしの記憶に刻みこまれた。ジョン・デンバーやオリビア・ニュートンジョンに朗々と歌いあげてもらうだけの曲ではない。本名の稚拙な「カントリー・ロード」は「耳をすませば」とともにある。あのシチュエーション、あの場面から彼女の歌を切り離して評してはいけない。「カントリーロード」にはそれだけの幅がある。今回、この番組で、その歌詞の変遷と、描写されている風景との関係を知った。「なるほど」と、わたしはうなずいた。やはり、この評価でよかったのだ。




 2000/05/06 (Sat)

「ゾイド」TBSテレビ 毎週土曜日18時〜18時半
 アニメの絵とまったく合っていない3D-CG(宇宙船やロボットなど)をむりやりはめこんでいる不出来なアニメ(代表例「女神候補生」)がやたらと多い中、もっとも3D-CGとアニメキャラがうまく融合しているということで、その映像を高く評価している作品(中身や演出はべつ)。今回から、新シリーズになった。しかし、話数は通算表示のままなので第35話になっている。OPなんかも、あまり変わっていなくて、新シリーズになったという雰囲気が乏しい。それでも、きっちりと時間は飛んでいるらしく、前回より少なくとも1年以上が過ぎている(惑星Ziの1年って、対地球比でどれくらいの長さに設定してあるのだろう?)。主人公のバンも肉体だけは成長した。ただし頭の程度は、とくに変化なし。ヒロインのフィーネは、新衣装がバストを強調しすぎ。アンミラの制服みたいになっている。ちょっとびっくり。でも、文句はない。バンに与えられた極秘任務が、あちこち旅をして悪いやつを退治するという内容なので苦笑した。政府の認可証なんかをアイテムにして渡しておけばいいのに。これで、前シリーズのメンバーが一緒になったら、ほとんど水戸黄門である。さて、どういうふうに展開していくのだろうか。




 2000/05/07 (Sun)

「噂の!東京マガジン」TBSテレビ 毎週日曜日13時〜13時54分
「やって!TRY」以外のコーナーだけ見ている番組。各地のトラブルのレポートは、見るべきところが多い(もっとも、その後をあまりフォローしてくれないのが不満。レポートをしたのなら、それがその後どうなったかを必ずきちんと報告してほしい。それを義務としてくれないかな)。今回は函館の景観騒動。「函館の景観にそぐわない集合住宅の建設を市が推進している。許せない」とかいうやつだ。例によって、うんざりしてしまう不毛の争いである。景観など無視すればいいではないか。狭い国土に桁違いの人間がひしめいている日本の都市部には景観もへったくれもない。すべての国民が、それなりの広さの家にちゃんと住めるようにすることが第一である。あとは、とりあえずどうでもいい。にもかかわらず、先に快適な住居を手に入れた人間は、やたらとその権利を主張し、景観云々と叫んで、他の人間の快適な居住を拒否しようとする。国土も狭いが、心も狭い。その代表例が国立の歪んだ住民たちだが、かれらは、いまやぜんぜん珍しくなくなってしまったウルトラエゴイスト集団である。どこにでもいる迷惑な連中だ。たとえば、京都。京都では、一部の住民たちが景観をむやみに重視し、美しい町なみをこのまま保存しようなどと勝手なことを言い散らしている。典型的な個人的エゴね。かれらは京都の伝統を保存しようなどとはかけらも考えていない。かれらが残したいと言っているのは、自分の知っている、自分が育ってきたほんの一時期の京都だけなのだ。
 論理的に思考していただきたい。京都を歴史的遺産として保存するのなら、どの時点の京都を残せばいいのかを。5年前の京都か? 20年前の京都か? 戦前の京都か? 幕末の京都か? 応仁の乱のさなかの京都か? 道長が月を愛でた京都か?
 わたしが知る限り、保存運動をしている人たちが残そうとしている京都は、その人が見てきた京都だけである。市電を復活させるとか、舗装をすべてはぎとろうとか、そういう自分の知らない時代の京都を保存しようとはまず言わない。要するに、その人にとってのなつかしい、慣れ親しんだ景観だけを残してもらえればそれでいいのだ。それが保存運動の正体である。ある人が生きてきて目にしてきたわずかな年数の間の京都。それを残すことになんの意味があるのだろう。
 正しく京都を保存させるのなら、選択肢はひとつしかない。平安京造営時の京都の復活と保存である。道路はすべて未舗装。玉砂利を敷きつめ、家は全部木造にし、寺社の柱は朱塗りで真っ赤に染める。屋根にも緑青の緑を鮮やかに輝かせる。仏像は金メッキし直すか、生々しい肌色を塗る。もちろん、電気もガスもない。交通手段は徒歩か牛車、自転車も禁止。そして、この京都をこのままの形で可能な限り長く保存していく。
 これをやるのなら、わたしは諸手をあげて賛成する。これは個人のエゴによって時代を限定された京都ではない。歴史的に意義のある正当な保存計画だ。京都を残すとは、こういうことである。
 そもそも都市は生き物である。人が住み、営みをおこなえば、必ず変化が生じる。その変化は、都市がつくられるのと同時にはじまる。それをある時点でむりやり止めたり、制限をくわえたりするのは、都市を殺すことである。死んだ都市は都市ではない。都市の姿をした形骸に等しい。形骸だから、保存計画が成立する。都市であることをやめさせたから、べつの用途に使用できる。たとえば意図的な観光事業とか。レーニンや毛沢東の屍体と同じである。生きていたら、しわが増えたり、髪が白くなったり、あちこち動きまわったりして、そのままの保存など絶対にできない。死んだから、防腐処置を施して、観光客を集める目玉にすることができた(レーニンは、もうその用途にも使えなくなってしまっているけど)。
 実際の話、わたしは京都の寺が好きだ。とくに東寺を好んでいる。だが、好きなのは、東寺であって、京都にそれがあるから好きなのではない。どこにあっても、それが東寺なら、わたしはそれを愛する。ほかの寺もそうだ。だから、寺が一か所に集まっていてくれれば、それにこしたことはない。東寺のとなりに清水寺や鞍馬寺があったら、助かる。うろうろ移動しなくてすみ、楽である。高野山はたくさんの寺の集合体である。貴重な仏像や文物はそれぞれの寺に分散して伝えられてきた。いまはそれが宝物館というひとつの施設に集められ、そこへ行くだけですべてが見られるようになっている。とても便利だ。展示さえされていれば、立ち寄ることを忘れて、うっかり見逃してしまうこともない。時間も節約できる。これこそが保存の正しい姿である。京都も、そうしてしまえばいいのだ。そうすれば、景観やらなんやらに、うだうだ悩む必要は皆無となる。歴史的建造物を移設した跡地には、新しい都市機能を付加できる新しい建物を建てればいい。なに、その建物も200年もすれば歴史的遺産になるのだ。どうってことはない。歴史的遺産というのは、なべてそういうものなのである(あの京都駅ビルだって、ガメラに壊されることなく、このまま残っていったら、きっと歴史的建造物になって保存しようという声がでてくる。間違いない)。誰もが知っていることだ。そこに個人のエゴの入りこむ余地はない。それよりも、都市を都市として生かし、再生させていくことのほうが、はるかに重要である。あれほどの好条件に恵まれた場所はけっして多くない。日本の土地は貴重品なのだ。屍体安置所とするには、京都はあまりにももったいない地域である。
 話を「噂の!東京マガジン」の函館問題に戻そう。マンション建設にからみ、歴史的建造物指定を返上した人たちの判断は正しい。指定は無意味であり、意義は爪の先ほどもない。返上したら、崩れかけて危険な状態になっている建物をさっさと壊し、住みやすい家に建て替えるといいだろう。それによって起きる不具合は、ひとつもない。はるかなむかし、日本のそこかしこには竪穴式住居が存在した。いま、それはどこにもない(除く復元建造物)。完全に消え失せた。それでも、不具合はまったくない。それと同じである。そんな建造物、残しておく必要など少しもないのだ。安心して建て替えてほしい。それよりも重要なのは、いまをより快適に暮らすことである。指定を返上した人たちには、その権利がある。壊さずに残したいという人がいるのなら、むろん、それも勝手にやればいいだろう。そういうことが好きな人が金をだし、建物を移築し、それをどこかべつの場所に残せばすむことである(明治村という恰好のモデルもある)。函館の建物では協力したいという気にならないが、これが東寺なら、わたしも喜んで寄付金を(ちょっとだけ)だす。何かをする。何かに賛同する。何かをしてもらおうというのなら、それは当然の態度である。それができないのなら、よけいなことは言わないほうがいい。少なくとも、わたしは黙る。他人に負担をかけさせておいて、平然と要求だけをしまくるなんてマネができるほど、わたしはいい性格をしていないのだ(そこの人、意外だという顔をしてはいけません)。




2000/05/08 (Mon)

「ゲートキーパーズ」WOWOW 毎週月曜日18時半〜19時
 はじまって6回になるのに、未だに設定がよくわからない作品。この敵は、いったい誰で、何をしたいのだろう。
 ま、それはそれとして、問題は時代設定の1969年についてである。なぜ、この作品の舞台が1969年になっているのかは、やはり、いまになっても不明である。理由はまったく示されていない。こういう設定をするからには、絶対にこの時代に起きたことを利用するといった必然性があるためだと思うのだが、その見当が少しもつかない。ナレーターにわざわざ矢島正明さんを起用してまでパロディをやろうとするのなら、その前にきちんとやっておいてほしいことがいくらでもあるぞと言いたくなる。
 そもそも1969年というのは、わたしが17歳だった年である(11月まで)。高校3年生だ。この作品の主人公とは(学年で)ひとつ上ね。年齢はほとんど同じで、世代がおおむね合致している。当然、わたしはこの世代にとっての1969年という年を熟知している(場所は名古屋になるけど)。
 そのわたしに言わせると、この作品に描かれている1969年はおかしい。でたらめである。
 1969年、名古屋市内においてボンネットバスはすでに消滅していた。こんなのが走っていたら、おや、珍しいとばかりに注目を集めた。東京なら、なおさらだろう。隠密行動を要する秘密機関のバスがわざわざ目立ってどうするのだ。そして、先週のカラーテレビ発言である。学校で生徒が言う。
「うちさぁ、今度カラーテレビを買うんだ」
「うわあ、いいなあ」
 言わねえよ。
 わたしの家は、テレビ放送を開始する前にアメリカ製のモノクロテレビを購入していた。力道山vs木村の試合も、わたしは自宅のテレビで見た。そういうモノクロテレビを早く買ってしまった家は、カラーテレビ化が遅れた。うちもそうだった。同級生がつぎつぎとカラーテレビを買っているのに、我が家ではなかなかカラーテレビを入れようとはしなかった。世間に大きく遅れてうちのテレビがカラーになったのは、東京オリンピックが放送されたときである。つまり1964年だ。これで、ようやく人並みになった。それなのに5年も後の1969年あたりで、上記のような会話が交わされるはずがない。1969年という時代を完全に勘違いしている。
 ゲートキーパーズは、内容を少しギャグに振っている。それはそれでいい。登場人物が名古屋から松本にテレポートしても、問題は何もない。女の子がいつもブルマ姿でいても、ぜんぜん気にならない。というか、歓迎する。だが、設定としての1969年を間違えるのは、大きな問題である。それは設定そのものをないがしろにしていることになる。いま一度、1969年の風俗、状況を再チェックし、正しい1969年をきっちりと描いてもらいたい。それができないのなら、過去を舞台にすることなど、さっさとやめたほうがいい。それは構成者の才能と手に余る、無理な設定だったのである。




2000/05/09 (Tue)

「最遊記」テレビ東京 毎週火曜日18時半〜19時
 典型的なカス絵コンテ。不出来な演出、コンテの見本に使えるレベルである。この作品、けっして評価できる内容ではなかったが、それでもこういう分をわきまえない演出をしてきたことはなかった。何をとち狂ってしまったのだろう。光と影を気取って扱おうとしたらしいが、結果は単に見づらいだけ、視聴者に不快感を与えるだけの「作品を壊す」演出になってしまった。たとえば、同じような演出を庵野監督がしていたとしても、このようにはならない。その差は言うまでもなく才能にある。微妙なバランスの上に成り立つこのような表現は、それ相応の才能の持主だけに許されている技法だ。並みや、並み以下の演出家が手をだしてはいけない禁断の領域である。中国の故事に、「美人が眉をひそめてたたずんでいたら、その憂いを含んだ顔がまた美しいといって評判を集めた。それを耳にしたある醜女がマネをして顔をしかめていたところ、人びとはその表情を恐れて誰も近寄らなかった」というものがある。これと同じだ。他の演出家がその技法で高い効果を得ているからといって、凡庸な者がそれをむやみに真似てはいけない。それは分を超えた不遜な行為である。




2000/05/09 (Tue)

「銀装騎攻オーディアン」WOWOW 毎週火曜日19時〜19時半
 理解不能の馬鹿アニメ。これはわたしには評価できないし、評価する必要もない作品。今期最初の視聴中止アニメとする。視聴中止については「ONE PIECE」の項を参照していただきたい。




 2000/05/10 (Wed)

「ONE PIECE」フジテレビ 毎週水曜日19時〜19時半
 おもしろい。ただひたすらにおもしろい。この作品を語るのに、これ以外の言葉は要らないだろう。絵に魅力があるということもない。演出がすぐれているということもない。アニメーティングも標準レベルである。しかし、見ていて、本当におもしろい。これで十分である。おもしろい作品は「おもしろい」と言うだけでいいのだ。その一方で、同じ日の22時28分から放送されている「ラブひな」という駄作がある。このひどさはどういうことだろう。こちらはつまらない。ただひたすらにつまらない。きょうは途中で視聴中止を考えた。放送している途中でというのは、先シーズンの「リヴァイアス」以来のことである。ただし、視聴中止の理由はまったく異なる。そもそもわたしは(よほどのことがない限り)「つまらない」「おもしろくない」という個人的理由では視聴中止にしない。わたしは自分の楽しみのためにアニメを見ているわけではないのだ。ある目的があって、アニメを見ている。だから、どんなに不出来な作品であっても、原則として視聴はつづける。これは、まだ「きらめきマン」を見ているということだけで明らかだろう。視聴中止にするのは、出来不出来云々ではなく、その作品に関して、さまざまな意味で、わたしが見る必要のない作品であると感じたときだけだ。それを感じない場合は、とにかく視聴を続行する。しかし、きょうの「ラブひな」は本当に我慢の限界を超えそうになった。「ONE PIECE」がなかったら、間違いなく視聴中止にしていたような気がする(「月光仮面くん」には「ONE PIECE」がいなかった。あれは「つまらない」という理由だけで視聴中止となった、ひじょうに珍しい作品である)。
「ONE PIECE」と「ラブひな」は、ともに少年漫画週刊誌の人気作品を原作としている。にもかかわらず、アニメ化すると、これほどの差がつく。素材の差であろうか。監督の力量の差であろうか。キー局の制約の差であろうか。その理由はまだ判明していない。もう少し見つづけて、その理由に迫りたい。そう思ったから、わたしは視聴中止にするのをやめた。自分の裡に謎があるうちは見つづけることができる。最終回までとは言いきれないけどね。




 2000/05/11 (Thu)

「妖しのセレス」WOWOW 毎週木曜日18時30分〜19時
 なるほど。声優の選定が逆だったのね。1話冒頭であの演出をするのなら、配役を逆にしなければならない。でも、声はこの配役でいきたい。とはいえ、あの演出もやりたい。二兎を追った結果が、あれになった。そういうことか(実は、すでにこの件に関する指摘は知人からあった。だが、原作と映像は関係ない。映像作品は映像のみで評価をおこなう。原作の情報は、比較のために必要なときしか耳に入れる気はない)。アヴァンタイトルがOPに切り換わる瞬間に細工を入れることで、もう少しやりようはあったかもしれない。が、やらなかった。なぜだろう。あれでいいやと思ったのかな。だとしたら、やはり甘いと思う。それでは演出が死ぬ。妖が歌うのなら、その歌声は妖のそれになる。セレスにはならない。黒澤やキューブリックのように、常に妥協抜きでやるという映像作家はいないのだろうか。




 2000/05/11 (Thu)

「太陽は沈まない」フジテレビ 毎週木曜日22時〜22時54分
 先回で、この作品について書くのはやめようと思っていたが、犬が生きてでてきたので書くことにした。これは明らかに不自然である。こういう出現だけは避けてほしいと思っていたが、やはりこうなってしまった。とはいえ、こう展開していった理由はおおむね想像がつく。まず、この母親は身許不明で病院に運びこまれなくてはいけない。でないと、すぐに家族に連絡ができてしまう。そのために、買物の途中で倒れるという設定は使用できない。財布があれば、その中に身許を伝える何かが入っていることが多いからだ。主婦が何も持たずに外出する。それを成立させる方策として犬の散歩というアイデアがでてきた。が、犬の散歩は諸刃の剣である。犬は帰巣本能が強い。それに目立つ。ロープをぶらさげたまま放浪しているとなれば、なおさらである。誰が見ても、逃亡犬だ。野良犬とは思わない。すると、助けようとする人がでてくる。
 もっともよい方法は、身許が判明し、家族のもとに連絡があったときに、犬が帰ってくることだった。しかし、それはなかった。それがゆえに、わたしは、最初にこの作品について書いたとき、その部分を問題にした。最初の日に犬を帰さなかった以上、犬は死なせるべきであった。タッキーが発見したのが犬の屍骸でなかったことが、かえすがえすも残念である。妹とのお涙ちょうだいシーンのためだけに犬を生きて帰宅させたのでなければいいのだが。
 と、いろいろと思いながら見てきたら、最後にいきなり、マスコミ対策という話がでてきた。ええっ? ここでマスコミ云々なの? それはないんじゃない。病院のお詫び会見ってテレビで放送されたんだよ。この手の事件でテレビで放送されるってすごいことなんだよ。なんかマスコミ(主にテレビ)をかばっているなあ。いまから27年前、わたしがテレビの仕事をはじめたとき、最初にプロデューサーから教わったのが「ニュースは起きるんじゃない。つくるんだ」というアグレッシブ(?)な姿勢であった。その考え方には、いまも変化がないはずである。そう信じたい。




 2000/05/12 (Fri)

「東京都知事定例会見」MXテレビ 15時〜15時27分
 おもしろいという噂の都知事記者会見完全中継だが、なかなか見る機会がなくて、ようやくきょう、偶然、視聴することができた。噂どおりにおもしろい。都立大学視察に伴う質問に答えての「大学は入ってしまえばそれでいいということになっているのが、そもそもよくない。入れば卒業できるのは当り前という風潮から脱却しなくてはだめ。我が弟、石原裕次郎や、友人、フランキー堺のように、中退したのに、あとで学債をたくさん買ったら卒業生名簿に載せてもらえたなんてのはいかんよ」なんていうせりふは、ちょっとほかの政治家の会見では聴くことができない。くそつまらない国会中継の代わりに、全国放送してもいいんじゃないかな。MXテレビは衛星デジタルに参入しないのだろうか(しねーよ)。




 2000/05/13 (Sat)

「新日本プロレス中継」テレビ朝日 毎週土曜日2時35分〜3時35分
 予告篇で昂奮してしまった。本編より、予告で流した試合のほうがおもしろいというのはちょっとまずいんじゃないかな。ああ、愛の夫婦タッグのすべてを早く見たいぞ。でも、早く来週になられると困る。締切が厳しいので。



 2000/05/14 (Sun)

「おジャ魔女どれみ#」テレビ朝日 毎週日曜日8時半〜9時
 授業中のシーンで、にやりとしてしまった。教科書の音読で読みあげられているのは「太陽の王子ホルスの大冒険」である。こういうお遊びはあまり好きではないが、今回はちょっとやられてしまったなあ。笑ってしまったこちらの負けだ。素直に認めよう。それと、魔女お着替えシークエンスのマルチバージョンが新しくなった。以前のものよりも演出として洗練されている。こちらも、なかなかいい。
 ところで、アリバイ工作として残しておいた妖精たちはどうなってしまったのだろう。あれでは大混乱が必定である(先に学校に帰ってしまった生徒もいるし)。願わくば、その混乱も描いてほしかった。って、それだとせっかくのうるわしい話が乱れる。もしかしたら、変身した妖精たちによるフォローのカットが不要だったのかもしれない。せっかくの気配りだったのだが。




 2000/05/14 (Sun)

「NHKスペシャル "IT"情報技術革命の衝撃(2) モノづくりが激変する」NHK総合 21時〜22時
 昨夜放送された「NHKスペシャル "IT"情報技術革命の衝撃(1) ネットビジネスが疾走する」と合わせての2回シリーズの番組。もちろん、昨夜の放送も見たが、ここではひとつにまとめて評価をおこなう。
「IT」は完全に今年最大の流行語になってしまった感がある。最初はS・キングの作品かと思った(嘘)。この2回目の放送の前、16時〜17時24分にも、テレビ東京で「経済プロジェクト2000 金融大転換−IT革命の衝撃 最先端の街は」という長いタイトルの番組が放送されていた。当然、こちらも視聴した。個人的にいちばん興味深かったのは、13日に放送されたこの番組の(1)のほうである。いま、インターネットは、社会の構造そのものを根こそぎ変えてしまおうとしている。それは明らかだ。この変化はめまぐるしくつづき、数年後には、さらに異様な、いまという時点では想像もつかない世界がわれわれの前に現出していることだろう。にもかかわらず、こういう状況がある一方で、まだパソコン・ワープロで小説を書く云々を問題にしている人がいるらしい。あほらしくて、笑ってしまう。そんなこと、どうでもいいではないか。各人の好きずきである。その好きずきに応じて、作品を公開できる範囲が自然に定まっていく。それだけのことだ。はっきりしているのは、ある形以上のことができない人は、もう新しいメディアには参入ができなくなるということである。むろん、参入できなくても、それが当該個人のレベルでは問題になることはない。しかし、わたしの方針としては、大きな問題となる。自分のクリエイターとしての生き方に関わってくる。この番組を見て、いくつか考えることが生まれた。もしかしたら、それをすぐに実行に移すことになるかもしれない。番組のタイトルに用いられている「革命」という一語は大袈裟でもなんでもないのだ。たしかに「革命」はもうはじまっている。大々的に。




 2000/05/14 (Sun)

「情熱大陸 今夜ついに桜庭和志」TBSテレビ 毎週日曜日23時〜23時半
 ホイス・グレイシーをプライド・グランプリで破った桜庭和志選手の試合当日に至るまでの密着レポート。練習の様子や、入場で使用した例のマスクを注文するシーン、試合を終えて、つぎの出番を待つまでの桜庭選手の表情などがおもしろい。勝てば、こういう番組も放送してもらえる。一夜にしてヒーローとなる。格闘家は絶対に勝たなくてはいけない。高田は、もうその資格を失った。わかりやすい世界だ。フジテレビは本番の試合を含めて、地上波ではプライドGPに関するほとんどすべての映像を確保したが、もっとも興味深い部分を他局に取られた。みごとなTBSの一本勝ちである。SRSのスタッフ、おおいにくやしがりなさい。




 2000/05/15 (Mon)

「名探偵コナン」日本テレビ 毎週月曜日19時半〜20時
 OPで、塩沢兼人さんを追悼するテロップが流れた。あらためて残念の思いが募る。もしかして白鳥警部が出演するエピソードになるのかなと期待したが、そうではなかった。これもまた、残念である。
 塩沢兼人さんのご冥福を、衷心よりお祈りいたします。




 2000/05/16 (Tue)

「陽だまりの樹」日本テレビ 毎週火曜日25時〜25時30分
 ナイターの影響などで放映時間が安定していないが、作品そのものは実に安定していて十分に楽しむことができる。とくに背景と声優陣はすばらしい。ただ、ハリスの声は英語のネイティブ・スピーカーを起用したほうがよかったような気がする。英語のせりふであっても字幕を入れない、いい演出をしているのだから、そのくらいの決断をしてほしかった。それと、松本梨香さんの関西弁は、やはり厳しい。こういう部分は芝居のうまさだけでは克服しづらいところであろう。




 2000/05/17 (Wed)

「全日本プロレス中継 ジャンボ鶴田追悼特番」日本テレビ 毎週水曜日25時45分〜26時15分
 訃報がつづく。それも惜しい人たちばかりである。鶴田選手は、わたしとほぼ同年代の人ということもあり、さまざまな思いがあった。息子の名は、鶴田の本名を借りている。何人かのプロレスラーに取材したり、インタビューしたりしてきたが、ついに鶴田選手と会うことはなかった。日本のプロレス界にあって、常に馬場を立てる位置におのれを置いていた鶴田は、比較的地味な存在であった。だが、その功績、その戦歴は、他のレスラーの誰にも劣るものではない。本当にプロレスラーらしいプロレスラーだった。合掌。




 2000/05/17 (Wed)

「ラブひな」テレビ東京 毎週水曜日22時28分〜22時54分
 視聴中止にする。前回、我慢して見つづけると書いたが、今回のシナリオ、演出を目にして、もうだめだと思った。これはわたしが評価する必要のない作品である。見ていても、ただの時間の無駄。精神衛生的にも害があり、健康のことを考えて、中止を決めた。しかし、アフレコあたりで気がつかないのだろうか。箸にも棒にもかからない滑りまくりのギャグと、めちゃくちゃな構成。間違いなく、からだに悪い。




 2000/05/20 (Sat)

「報道特捜プロジェクト」日本テレビ 13時半〜14時55分
 警察幹部の天下りと駐車違反取り締まりに関する疑惑、そして、学生の学力低下が今回のテーマ。ひっかかったのは、学力低下についてのところ。ほかの教科はべつとして、ワープロ、パソコンの普及で文字を手で書く機会が減り、漢字が書けなくなったという説には異論がある(四字熟語を知らないというのは、ワープロ、パソコン使用以前の問題。知識比較の調査としては有効だが、漢字が書けないこととはなんの関係もない)。少なくとも、わたしはワープロ、パソコンを使うようになってから、より漢字が書けるようになった。これははっきりしている。ディスプレイ上で繰り返し文字を選ぶことにより、正しい漢字の形が認識されるようになって、記憶が可能になったのである。実際の話、わたしは漢字の書けない学生であった。高校時代は、書きとりのおかげで国語の点数が下がることを懸念して教師のもとに行き、「情報を得るために本や新聞は短時間で読めなくてはいけない。それには漢字の読み能力の向上が重要である。一方、文章作成はきちんとした文章を書くため、辞書などを使い、推敲を繰り返しておこなうので、書きとりはそれほど重要なものにはならない。だから、書きとりの試験はやめよう」と直訴して、それを認めさせたほどである。おかげで1年、苦手な書きとりテストは中止された。しかし、入試のとき、その余波がきた。さすがに文部省までは直談判ができない。ひどい目に遭った(注・読みは大の得意であった。母親の話によると、幼稚園の年中組のころから、わたしは新聞をひとりで熱心に読んでいたらしい。もちろん、ぜんぜん覚えていない)。
 そんなわたしだったが、ワープロ、パソコンで執筆するようになって、状況が変わった。いまはかなりの漢字を書くことができる。以前が悪すぎたという事情もあるが、ワープロ、パソコンの使用で、たしかに書ける漢字の数は増加した。これは間違いない。きっぱりと言いきることができる。「報道特捜プロジェクト」はいい番組なのだから、雑な調査で、納得のできない結論をだすのはやめてほしい。今回、番組の中で四字熟語が書けなかったり、漢字を読めなかったりした連中は、ワープロやパソコンを使っていなくても、結果は同じになっていたはずである。頭の出来というのは、そういうものなのだ。
 ところで、この調査、「低下、低下」と言っているけど、いったい何に対して学力が低下していると言っているのだろう。それが、まるでわからない。まったく同じ調査を同じ方法で5年前、10年前、20年前にやって、その比較で低下と言っているのかな? そうならば、前のビデオなり、データなりをきちんと示してもらいたいものである。で、もしも、そうでないのなら、「低下」などという言葉は使うべきではない。むかし、同じ調査をしても、結果はたいして変わらなかった可能性がけっこうあるのだから。




 2000/05/21 (Sun)

「よみがえる真言密教の美〜東寺講堂」NHK総合 14時15分〜15時
 京都の東寺は前にも書いたように、わたしがもっとも贔屓にしているお寺である。講堂にある仏像は、その出来のすばらしさもさることながら、配置が曼荼羅そのものになっているということで、特異ともいえる総合的な美を、絢爛と放っている。今回、それらの仏像の多くに対し、平成の大修理として修復がおこなわれた。番組は、その記録である。NHKは、仏像などの重要文化財の修理作業記録に熱心で、このほかにもたくさんの同種番組をこれまでも放送してきた。そういった番組を見るたびに思うのが、修復作業基準がいまひとつはっきりとしていないということである。たとえば、今回の修復では、多聞天像の顔面に上塗りされていた色漆をはぎとるという作業がおこなわれた。色漆の上塗りは、明治時代におこなわれた修理によるもので、これをはぎとることにより、建立当時の顔貌があらわれたと番組内では説明されている。また、大日如来像に対しては、はがれかけている金箔の合成樹脂による固定作業がおこなわれた。こちらは金箔を張り直すのではなく、残っている金箔がこれ以上はげ落ちないようにするための、現状維持作業である。一方、軍荼利明王像はかつての修理で色が塗り直されていたため、それをすべてはぎとることとなった。こういった修復には、「よけいな手が後世に加えられていたら、それは旧に復す」「自然に傷んだものは、これ以上傷みが進まないように処置をする」という方針がたしかに見える。しかし、だとすると、そのつぎに紹介された修復の意味が不明になる。
 紹介されたのは、降三世明王が手にしていた蛇像の再生作業だ。大正八年におこなわれた修理で復元されていた蛇がまた失われたので、当時の破片に新しい蛇の彫刻をつぎたして再復元させたというものである。いま残っている資料は、大正の修理後に撮影された写真だけらしくて、それ以前がどうなっていたのかは、まったく知られていないようだ(わかっているのなら、その資料を見ながら復元するはず。しかし、この復元は大正時代の写真だけを頼りにおこなわれていた)。そして、完成した蛇は大正期に復元されたものに合わせて、白く彩色された。こうなると、これはもう、この部分については新作になったといっていい雰囲気になる。こういう修理をするのなら、ほかの部分もつくりたしたり、塗り直したりしてもいいじゃないかと思ってしまうのだが、それはやらない。あくまでも、蛇だけがつくり直されている。
 結局、修復基準が極めて瞹昧……というか、わかりにくいのだ。
 中国では、これがひじょうにわかりやすくなっているという。色が落ちれば色を塗り、金箔が落ちれば金箔を張る。つまり、仏像も建物も、つくられた当時のままで保存するという方針だ。経年変化による 味、風情といったものは、いっさい考慮しない。これがいいのかどうかはべつとして、方針は明快である。常に新品であるように保つ。基準が一言ですんでしまう。
 日本のそれは、よくいえば、臨機応変である。が、悪くいえば、原則がない。修理担当者の肚ひとつで、どう修復されるかが決まってしまう(実際は、所有者であるお寺さんの意向とか、もっといろいろな注文や手続きがあるのかもしれないが、外部から見ていると、そのようにしか思えない)。たしかに、いまさら奈良の大仏を再鍍金して金ぴかにしてもらっても、目に馴染みがないため、とまどったり、違和感をおぼえたりと、すごくまずいことになってしまう。だが、方針としては、それもありなのである。最初から排除はできない。できれば、それらいくつかの方針を吟味し、これはこのような方針で修復するというものを、まずはっきりと世間に示してほしい。理想としては、建立当時そのままのレプリカをつくって、そちらも拝観できるようにしてもらうのがいいような気がする。そうすれば、作成者の意図どおりの像を目にすることができるようになる。本来の姿とは異なるものしか見られないというのは、いまひとつよくないのではないだろうか。建立された時代のセンスを知り、それを考察することは、美術史的にも、信仰対象的にも、けっこう重要なことである。見たら、あまりの色、デザインにびっくりし、腰が引けてしまう可能性があるけどね。




 2000/05/22 (Mon)

「ETV2000 シリーズ 日本を歩く 荒行 峰入り〜大分県国東半島」NHK教育 22時〜22時45分
 9年ぶりに復活した国東の天台峰入り修行のルポ。プロカメラマンがレポーターになり、ナレーターも担当した。「魔道神話」を書くときに、山駈けや峰入り修行についてはいくつか調べた。ここの修行はそれらに較べると里を歩く部分が多い。また覗きなどの危険な行もほとんどない(もしかしたら紹介されなかったのかもしれないが)。そのぶん、一般の里人との交流が深く、これはこれで興味深い修行である。先達の住職はわらじ履きなど、むかしの修行装束にこだわりを見せていたが、道路状況がむかしとはまったく異なっている。アスファルトの上をああいう履物で歩くのは、さぞかしつらいことであろう。参加者にはスニーカーの人も多くいた。里まわりの多い峰入りでは、これもやむを得ないことといえる。わたし自身がステッパーを踏みながら見ていたこともあり、淡々と時間の流れていく、いいルポとなっていた。




 2000/05/23 (Tue)

「ファーブル先生は名探偵」NHK衛星第2 毎週火曜日午後6時半〜7時
 絵柄はいまひとつ好みではないが、作品としては標準的な仕上がりとなっている。何よりもヒロインがスカートからお尻をまるだしにしているという大胆な設定がおもしろい(おいおい)。
 子供のころのわたしは中途半端な天文少年で、中途半端な昆虫少年で、中途半端な模型少年だった。要するに、男児が興味を持ちそうなものにはなんにでも首を突っこんでいた、おかしなガキだったのである。したがって、「ファーブル昆虫記」もちゃんと愛読していた。この趣味はいまでも変わらず、鳥山明さんのカバー絵で刊行された集英社文庫版も、もちろん全6巻をそろえている。
 今回は実用化されたばかりの映画にまつわる犯罪エピソード。たしかにリュミエール兄弟がフランスで映画の上映会を催したのは1895年で、1915年に没したファーブルが、それを見ていた可能性はある。そこに着目した発想は悪くない。しかし、1895年のファーブルは72、3歳である。ちょっと年齢には無理が生じる。惜しい。とはいえ、それは問題にはならない。問題なのは、上映中に光源を切らないまま、フィルムをストップさせたことである。当時のフィルムは、すぐに燃えた。映写機の発熱量がすごかったのと、フィルム自体が強燃性だったため、上映中にフィルムが止まったら、数秒ともたない。すぐに発火した。そのシーンを描いた記録映画や、映像作品もたくさんある。見た人も多いことだろう。だが、この作品の中ではフィルムが燃えない。残念である。燃やしてしまうと、カットの流れに支障がでるかもしれないが、ここは燃やしても話が進むように必死で工夫すべきであった。いいアイデアはきちんとした考証で補強され、いい作品へと昇華する。そのあたりをぜひ考慮してほしい。
 というわけで。
 この作品、観察できました。




 2000/05/23 (Tue)

「プロジェクトX 挑戦者たち 海底ロマン! 深海6500mへの挑戦〜潜水船・世界記録までの25年」NHK総合 毎週火曜日21時15分〜22時
 あざとい番組である。いつもラストで、関係者たちのその後を描く。それが実に、見ている者の心にぐりぐりと響く。また、そのシーンのバックに流れる中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」がいい。これが7月19日まで発売されないのは納得できないぞ(原版権引きあげ、レコード会社移籍の余波かな?)。早く発売してくれ。
 で、今回は、「しんかい6500」の開発物語である。世界記録を有している国産の深海潜水艇だ。もう少し技術的な部分を詳しく映像で説明していただきたかったものの、そのぶん開発ドラマはしみじみと見せてもらった。ただ、ゲストが小松左京さんでなかったのがひじょうに残念である。小松さんの深海潜水艇に対する思いは本当に強い。日本沈没で「わだつみ」を描いて以来、小松さんの関心の一部はずうっと深海潜水艇にそそがれてきた。小松さんに会うたびに「しんかい」の話を熱っぽく聞かされてきたわたしには、それが本当によくわかる。もっとも、小松さんをゲストに呼んだら、つのる思いが言葉となってあふれ、番組が進まなくなってしまう可能性も大きい。が、それでもなお、この25年がかりのドラマに対して、わたしは小松さんに一言、感想を語ってほしかった。




 2000/05/24 (Wed)

「その時 歴史が動いた ダルマ大臣・高橋是清 経済危機と格闘す」NHK総合 毎週水曜日21時15分〜22時
 息の詰まるような45分間であった。見ている間じゅう「それにひきかえ宮澤は。それにひきかえ宮澤は」とつぶやいていた。この番組を視聴していた多くの人びとが、同じ気持ちを抱いていたのではないだろうか。いま宮澤大蔵大臣を暗殺しようなどと考える人はどこにもいない。まともな手を何も打っていないから。しかし、危機に陥った経済の建て直しには、大胆かつ思いきった改革が伴うのが常だ。現に、石原都知事はそれをした。いま、石原知事を殺したいほどに憎んでいる人は必ずいる。石原さえいなければと思っている人が間違いなく存在する。石原知事はそれだけのことをした。だから、東京都の財政改革が前向きに動きはじめた。政治とはそういうものだ。政治は利権の奪い合い、もぎとり合いである。経済危機を是正しようとしたとき、その利権闘争は平時とは比較にならぬほどに極端な様相を示す。場合によっては徹底的に奪い、もぎとることもある。このとき、奪われた者は奪った者を憎む。殺してやると吼えるまでに激する。改革をめざす政治家は、そのように憎まれるまで強引に利権、利害の調整をはからないと、狂ったバランスは修正できない。危機とは、それほどに大きく均衡が失われてしまった状態なのである。口では命を懸けるといいながら、いま日本に命を懸けて改革をおこなおうとする政治家は、国政の場にいない。これは野党も同じである。すべての政治家がいい人であろうとし、善良を装おうとしている。
 ところで、ふと気がつけば、選挙が近い。あとひと月にまで迫っている。この国難のとき、国民を見くびり、おいしいことだけをただ言い散らす政治家を、われわれは政治の世界から追放しなければならない。それは口先だけのえせ政治家である。強大な戦力を振りかざして脅迫的言辞を吐きまくる覇権国家中国の圧力にひれ伏す一方で、良識あるリベラルをひたすら醜く演じようとしている某大臣などがそうだ。今度の選挙、人員整理のいい機会ではないかな。




 2000/05/24 (Wed)

「あしたまにあ〜な」テレビ朝日 月−金 23時54分〜23時59分
 あしたの情報だけをまとめて放送する番組。イベント、映画、ゲーム、ビデオ、グルメ、ステージなど、さまざまな情報を濱田マリが一気に早口で流す。チェックしておけば、あしたに間に合うから、タイトルが「あしたまにあ〜な」。通称は「あしたま」。中身は短いが、けっこう参考になる。いつも「トゥナイト2」を見ているので、その直前にフジの「ニュースJAPAN」からテレ朝にチャンネルを変えると、ちょうどこれがはじまる。だから、ついつい見てしまう。開始、終了時間が少しおかしいが、これは、テレ朝が今期から多くの番組の開始時間を6分ずらすという姑息なマネをしたために起きている現象。「ニュースステーション」など、こうでもしなければ、NHKの「ニュース10」には対抗できないと思ったのだろうか。でも、そういうことをしても、わたしは「ニュース10」を見る。よくぞNHKはこの時間帯にニュースを置いてくれた、感謝している。おかげで、恣意的に歪められた異様なニュースを見たり、頭の悪いキャスターによる意味不明のコメントを聞かなくてもすむようになった(ニュースが放送されていると、ついそれを見てしまうトホホな習性があるのだ)。めでたし、めでたし。




 2000/05/26 (Fri)

「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」日本テレビ 毎週金曜日20時58分〜20時54分
 ドーバー海峡横断を果たしたメンバーが、今度はマッターホルン登頂部を結成した。でも、これ、ちょっとまずいんじゃないの。
 いまのわたしを見ている人はまったく信じないが、わたしは登山をやっていた時期がある。ロックじゃなくて、尾根だけだったけど。しかも、ほとんど自力登頂できていなかったんだけど。奥穂高に登ったときなんか、涸沢に行く途中でへたばり、ザックをリーダーに持ってもらったほどである。でも、ちゃんと登山をやっていた。3000メートル級の山も登った。剣岳は集中豪雨に見舞われて途中で引き返したが、その前に立山は走破していた。雷鳥も見た。這松の中で雉も撃った。派手な落石を起こして、他の登山者にどやされた。
 そのわたしが言う。この企画はむちゃである。先週見た感じでは尾根筋を登るコースをとるみたいだったが、マッターホルンはロックの技術も必要とする。雪、氷も克服しなくてはいけない。わたしは剣沢で滑落したことがあるけど(ぜんぜん自慢にならない)、あれは怖いぞ。雪渓のトラバースなんか、すごくむずかしいぞ。
 というわけで、今週は「一応、ぶちあげてみたものの、やはり部員が高尾山に登ってこなかったので、中止する」という中身になる可能性も大であろうと思っていた。きても、神尾米選手くらいだろうと考えていた。もしかしたら、片山右京あたりをスカウトしてきて体面を保つのかなとも思ったりした。それがどうだろう。ほとんどフル参加である。これはまずいよ。へたをすると死人がでるよ。思い直すなら、いまだよ。ああ、来週以降の展開が楽しみである。




 2000/05/26 (Fri)

「コロシアム2000 ヒクソン・グレイシー vs 船木誠勝」テレビ東京 22時〜22時54分
 なんだ、このカメラワークに、CMの入れ方は。素人の演出だね。不満がいっぱい。こういう部分はフジやテレ朝を見習ってほしい。ヒクソン vs 小川直也をやるときは、べつの局でお願いしたいな。って、やるのかよ?




 2000/05/26 (Fri)

「シネマ通信」テレビ東京 毎週金曜日24時45分〜1時15分
 映画情報の取得は、以前は「週刊地球TV」の中で放送されていたCNNの「ショウビズ」に頼っていたが、いまは「シネマ通信」だけとなった。うちはCATVなので、CNNはいまでも見ることができる。でも、情報が日本向けにまとめられていないので、とっても見づらい。だから、パスするようになってしまった。
 今回のシネマ通信はリドリー・スコットの「グラディエーター」の紹介からはじまった。いや、すごい。CGの塊である。CGで完璧な古代ローマをつくってしまった。失われたものをドラマの中に再現させるという映像作家の理想が、着実に完成に向かって動いていることがわかる。いまベン・ハーを再制作したら、さらにスケールアップさせたものが、前よりもすっと楽にできてしまうんだろうな。海戦のシーンなど、どのようになるのかが見たい。誰か挑戦してくれないだろうか。




 2000/05/26 (Fri)

「まねキン」日本テレビ 毎週金曜日1時45分〜2時15分
 いつもどおり、その日のニュースの最後の締めくくりとして「讀売新聞 きょうの朝刊」を見たあと、しばらくテレビをつけっぱなしにしていたら、この番組がはじまった。コージー富田の偽タモリと原口あきまさの偽さんまが、ミニゴルフコースに行き、女子プロゴルファなどを相手にしてゴルフの勝負をしている。でも、呼びかけるせりふも、随所にはさみこまれるスーパーも「タモリ」「さんま」となっている。「偽」がどこにもついていない。これ、まずいんじゃないかな。見れば、明らかに本物ではないことがわかるからいいと思っているのだろうか。「プリティ長嶋」だって、「プリティ」がついているから、芸として通用するのである。テレビ局に文句の言えない芸人には、そういう配慮は無用ということかもしれない。法律的な解釈を知りたいものである。で、肝腎のゴルフ勝負はプロ側の圧勝。途中で女子プロがホールインワンなどもやってしまった。これは演出なしのハプニング。おいしい映像である。しかし、スポーツが絡むと、本当にどんな番組でも見てしまうなあ。少し反省しておこう。




 2000/05/27 (Sat)

「独占中継! 男だ舞の海 涙の断髪式スペシャル」日本テレビ 15時半〜16時55分
 予想どおり演出は最悪。民放型構成の悪い部分がすべて集められている。うざったいったらありゃしない。まともに見られるのは、式そのものと過去の対戦のビデオだけである。しかし、こうやって見直してみると、やはり舞の海の相撲は本当におもしろい。相撲には“けれん”が要る。もっと要る。写真日記のほうでも書いたが、国技などと気取っている相撲なんか、くそくらえである。エンターテインメントとしての相撲こそ、本筋の相撲となる。引退は残念だが、この式を見て、自分もあのような相撲をとろうと思う人たちがあとにつづいてでてくることを祈る。でないと、相撲はどんどんだめになる。週刊誌の無意味な記事など、いっさい黙殺してほしい。あの記事に、相撲の隆盛を願う心はない。
 ところで、デーモン閣下の衣装って土俵によく似合うね。行司の衣装なんかに応用できないかな。




 2000/05/27 (Sat)

「ワールドプロレスリング 新日本プロレス中継」テレビ朝日 毎週土曜日26時5分〜27時5分
 番組冒頭、橋本真也選手の辞表提出につづき、いきなり西村修選手の癌カミングアウトである。びっくりした。命をとるかプロレスをとるかと問われ(腫瘍摘出後の治療……放射線や抗癌剤の使用を拒否したとか、そういうことかな?)、再発覚悟でプロレスに復帰したと言われても、今後、試合する相手選手は困ってしまうのではないだろうか。気魄や決意はすごいんだけど。まずは西村選手の今後の健闘と無事を祈るばかりである。これ以上、早世するプロレスラーを見たくはない。




 2000/05/28 (Sun)

「NNN ドキュメント'00 遺伝子のささやき」日本テレビ 毎週日曜日24時55分〜25時25分
 本来は24時25分から放送されている番組、今回は野球の延長で30分ずれた。迷惑な話である。いつも、これで録画に苦労している。
 で、今週のテーマは、日本における遺伝子診断。FAPという遺伝子病の家系の人(若い男性)が、自分の遺伝子を検査してもらい、自分がその病気になる可能性があるのかないのかを確認するまでのドキュメント。遺伝子検査の結果がプラスの場合は、ほぼ間違いなく3、40代で発症し、まもなく死ぬ。
 以前、「NHKスペシャル 世紀を越えて いのち 生老病死の未来」の2回目「遺伝子診断の光と影」を本欄で取りあげたことがある。遺伝子診断の結果を受けて、癌になる前に乳房と卵巣を切除してしまう女性が紹介されていた。アメリカでのエピソードだ。こういう診断は、まだ日本ではあまりおこなわれていないと思っていた。だが、今回のような深刻な遺伝子病については、徹底的なインフォームド・コンセントのもとに、それが実施されていることがわかった。赤の他人であるわたしが見ていても、胸がどきどきするようなルポである。当事者の気持ちは想像だにできない。わたしは前に肺の腫瘍を手術で摘出したことがある。それが良性の過誤腫であるとはっきりするまでの心境と比較してみたが、どう考えても、このケースのほうがいやだ。わたしの腫瘍は、レントゲンとCTスキャンによる検査で、生検がおこなわれる前までに90パーセント以上の確率で良性過誤腫であると言われていた。そのぶん、気が楽になっていたのである。今回の遺伝子診断は、五分五分、確率50パーセントの賭けとなっていた。これは厳しい。自分なら、検査を依頼するだろうか。うーん。悩んでしまう。
 今回の結果はマイナスであった。依頼者は賭けに勝った。問題なしと言われ、緊張が解けて泣きだしてしまう姿は、印象的である。民放のいつものドキュメントとは異なり、演出が地味に抑えられていたのもよかった。この手の番組は、このようにつくられなくてはいけない。過剰演出は視聴者が拒否すべきである。




 2000/05/29 (Mon)

「たけしのTVタックル 怒りの鉄拳2000」テレビ朝日 毎週月曜日20時54分〜21時48分
 二手に分かれた女性軍のやりとりがおもしろい。飯島愛さんは頭の回転が早くて、裏表がないから、気取って本音を隠そうとする文化人は立場があやうくなるね。議論は正直がいちばんという原則をきちんと踏襲している。
 で、中身なんだけど、痴漢の話題の中で、佐々木久子さんが飯島愛さんに向かって「そんな派手できわどい恰好をして男を挑発するから、狙われるのよ」なんてことを言っていた。しかし、これは、つい最近否定されたことである。大間違い。テレビのニュースで見た。調査によると、痴漢は「派手で、けばいねえちゃんではなく、おとなしくて、地味な子」を対象とするのだとか。理由は簡単。けばいねえちゃんに手をだすと、すぐに「なにすんのよ、このど助平!」とか言って騒ぎだし、捕まってしまうからである。おとなしい子はそれができない。やられていても、恥ずかしくて声もだせない。言われてみると、なるほどである。たしかに、それが正しいセオリーだという気がしてくる(って、何が正しいんだよ)。でも、この番組では、佐々木さんの発言に、誰もそのように突っこまない。なぜだろう。出演している人たちは、忙しくてニュースを見たり、新聞を読んだりするひまがないのかな。あるいは、もっと大きくて深遠な問題のことばかり考えているから、そういう下賤な問題には関心が湧かないようになっているのかな。不思議である




 2000/05/29 (Mon)

「er 救急救命室」NHK衛星第2 毎週月曜日23時〜23時50分
 カーターくんが肩を脱臼した。それをルーシーがはめる。激痛にのたうつカーターくんの演技、すごくリアル。でも、ちょっとだけ甘い。
 わたしは、スキーで右肩を外した。それを入れてもらったときの痛さといったら、筆舌に尽くしがたい。はめ終わったあとは、痛みのあまり声もでない状態になる。そのあたり、カーターくんは少し元気すぎた(学生に整復術を教えながらはめてもらっているのだから、無理もないけど)。わたしは整体治療院で女性が肩はめをしてもらうところも見ていたことがあるが、はめてもらったあとの女性は無言のままへたりこみ、ただ、ぼたぼたと涙を落としつづけるだけだった。それくらい脱臼した肩をはめるのは痛い。脱臼したときよりも痛い。できれば、そこまで演技してほしかった。




 2000/05/30 (Tue)

「トゥナイト2」テレビ朝日 月−金23時59分〜24時54分
 怪談映画で名を知られている中川信夫監督特集。番組の中で、アメリカンホラーと日本の怪談映画、どちらが怖いかを椎名まおを対象にして実験していた。アメリカンホラーの「キャリー2」を最初に見た椎名さん、途中で「ああ、びっくりした」と漏らす。この言葉が、いまのアメリカンホラーの意味のすべてである(現に見終わってからも、椎名さんは感想としてそう言った)。あんなものはかけらも怖くない。ただのびっくり映画である。いわゆるショッカーというやつね。これを踏襲したいまの和製ホラーも同じだ。少しも怖くない。もちろん、やられれば、わたしもびっくりするけど、これは当然。子供のいたずらだって、とつぜんやられれば誰だって驚く。その程度のもの。だから、どの作品も見ていて馬鹿らしくなってくる。こんなものを怖い怖いって見ている人の気がしれない。漫画もそうで、わたしはむかしから、楳図かずおさんの漫画を出来の悪いギャグとして扱ってきた。絵はへただし、構成も乱れっぱなし。ぜんぜん怖くないのだ。楳図さん自身はとてもいい人なんだけど、作品はだめ。まったく評価していない。ホラーをつくるのなら、小松左京さんの「くだんの母」レベルのものだけにしてほしいなあ。




 2000/05/31 (Wed)

「ためしてガッテン 決定版! チャーハンの鉄則」」NHK総合 毎週水曜日20時〜20時45分
 おいしいチャーハンのつくり方。うーむ。すごい。そういうことだったのか。ガッテン! ガッテン! ガッテン! 思わず拳でテーブルを叩きまくってしまった(自分ではつくらないけど)。こんなこと、「美味しんぼ」の72巻にも書いてなかったぞ。というか、72巻のチャーハンのつくり方は明らかに間違っていることになるじゃないか。ここはぜひ、あのいやらしくもねちっこい雁屋哲特有の反撃を見てみたいところである。NHKに喧嘩を売ってくれないかな。期待している。




 2000/05/31 (Wed)

「その時 歴史が動いた 敵は本能寺にあり〜新史料が明かす光秀謀反の瞬間」NHK総合 毎週水曜日21時15分〜22時
 新史料が発見され、あらたに真相に近づいたといってNHKが思いきり宣伝していたので、つい一所懸命見てしまった。光秀家臣の手になるこの覚書、たしかにすごい。これが本当なら、いままで描かれてきた信長討死のシーンはまったくの嘘だったということになってしまう。そもそもいくさらしいいくさをしていないじゃないか。森蘭丸はどうした? 弓をとって雑兵を射殺す信長はどうした? あるじを守って戦死した黒人の家来はどうした?
 しかし、これからつくる信長ものの映画やテレビドラマは困ってしまうね。これじゃ、まるで絵にならない。襲いかかる光秀の家臣が、相手が誰なのかも知らないで本能寺に入っているんだもん。信長側も、ぜんぜん反撃しないで、いきなり本能寺に火の手があがってしまうんだもん。いやな史料が見つかってしまったものである。これだから歴史ものは怖い。



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