『不定期写真日記』バックナンバー

これまでに掲載した写真日記の一部をバックナンバーとして再掲載しておくことにしました。
賞味期限の切れていないネタと店の紹介だけをチョイスしてあります。

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 4月21日、JR東日本 新宿駅のプラットホーム。

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 JR東日本が17日の朝から、混雑時の電車内で携帯電話の電源を切るように呼びかけているらしい。心臓ペースメーカーへの悪影響を配慮してのことだそうだが、新聞がアンケートをとると、3割の乗客が電源を切らないと答えている。当然だろう。切ると答えている残りの7割の人も、たぶんその多くが実際は切っていないと思う。人命にかかわることなのに、なぜこうなってしまうのか。理由は簡単である。人命にかかわることという意識を誰も持っていないからだ。考えてみれば、すぐにわかる。本当に人命にかかわるのなら、もっと厳しい処置がとられているはずだ。呼びかけだけですませられることなら、誰もそれには従わない。自明の理である。また、従う気があっても、携帯電話の電源を切るというのはなかなかむずかしい。切ることを忘れてしまうのだ。これも当然といえば当然である。常時スイッチを入れていなければ役に立たないものを身に帯びている場合、切るというのは、よほどそれを意識しているとき以外は不可能になる。人間、そんなに緊張して行動などしていられない。
 というわけで、この呼びかけ、空振りに終わることは目に見えている。規制を厳しくして罰金などを設定しても100パーセントの遵守は無理だろう。うっかり忘れてしまうのだから。しかし、人命にかかわるのなら、これは100パーセント実施されなければいけないことである。絶対に無理なのに、100パーセント守られなくてはいけない。ジレンマの大きい問題だ。が、実はこのジレンマは簡単に埋められる。厚生省や政府が本当に人命にかかわることと認識していれば、すぐに対策できる。
 方法は簡単だ。心臓ペースぺーカーを交換してしまえばいいのである。ペースメーカーにはすでに改良型ができており、いま装着されている新型は、すべて電磁波対策が施されているという。ペースメーカーの寿命は5年〜10年で、少し前に交換した人は、まだ電磁波対策がされていない旧型を埋めこんでいる。ならば、ちょっと前倒しして、みないっせいに新型に替えてしまえばいい。そうすれば、問題はあっさりと解消される。費用は厚生省が全面補助をおこなう。人命にかかわることなのである。それが本当なら、補助して当然ではないだろうか。絶対に達成不可能な規制などに頼らなくても、心臓ペースメーカーをつけている人たちを確実に守る方法があるのだ。ならば、さっさとやれとわたしは言いたい。ほかの病気と違って、ペースメーカーを入れている人の名前や所在はおおむねわかっているはずである(でないと、メンテに困るはず)。人命にかかわるというのなら、そこまできちんとやるべきだ。薬害エイズなどで評判をどん底にまで落とした厚生省だが、汚名を返上するには、これはひとつのチャンスである。税金の無駄遣いという人は皆無だろう。即座にやりなさい。でないと、誰もこれが人命にかかわることとは信じない。





4月24日、吉祥寺のカレー屋。

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 吉祥寺でカレーを食べるとなると、この店に行く。店員はすべてインド人(少なくとも外見は)で、日本語は少し不自由。ランチタイムに980円のセットメニューを頼むことが多い。

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 この値段で、カレー4種類(マトン、チキン、野菜、豆)、ライス、ナン、ラッシーがおかわり自由。しかも、ランチタイムの時間が長い。11時から16時くらいまでである(たしか、そうだったはず。やや記憶に自信なし)。カレーはマトンがとくに好み。すべてのカレーをおかわりして味わいたいと思っているが、若いときのようには食べられないので、2種類だけでいつもダウンしてしまう。残念。





5月4日、御徒町のサングラス・ショップ

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 ホームページでサングラスのプロショップを発見した。オードビーという店である。ここしばらく風邪をひいて寝こんだりしていたが、それもよくなったので、5月3日に行ってみた。品揃えがよく、店の人が親切である。CEBEのグラスを購入した。ついでに、むかし買ったレイバン、形は気に入っているけど、レンズがガラスなので重くて困っているという話をしたら、プラスチックレンズへの交換も受けているのでどうぞと勧められる。値段も手ごろ。4日に家人の用事でもう一度、御徒町に行くことになったので、さっそく立ち寄り、お願いしてきてしまった。外見が地味で、うっかり通りすぎてしまいそうな店である。店の周囲は宝石のショップが軒を連ねている危険地帯。ガールフレンドや配偶者と行くと、思わぬ出費を強いられる可能性が高い。詳細はこちら





5月8日、大相撲夏場所

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 7日から夏場所がはじまった。いきなり無双山や武蔵丸といった注目力士が休場していて、がっかりである。で、連休が明けて8日になり、新聞に週刊誌の広告が載った。場所開始に合わせたかのように、大相撲の八百長記事が掲載されている。

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 しかし、この大相撲の八百長告発くらい意味のないものはない。そもそも大相撲が八百長であって、どこがいけないのだろう。わたしにはぜんぜんわからない。
 相撲は戦国時代以前はべつとして、けっこうむかしから胡散臭い興行であった。そう。スポーツや格闘技の「試合」ではない。相撲は「興行」である。どちらかといえば、プロレスに近い存在だった(野見宿禰と当麻蹶速の相撲はバーリ・トゥードだけど)。江戸時代には、そのエンターテインメントとしての形がほぼ完成していた。たとえば大童山文五郎である。大童山は正式な相撲とりではない。6歳の子供である。子供だが、すごいでぶだったので、相撲とりの扮装をさせて取り組みの合間に土俵入りをさせたら大受けした。そこで、レギュラー出演者にして人気を博した。そういう話である。写楽が浮世絵で描いているから、その姿を知る人は多いだろう。要するに色物だ。とびきりの楽しいショーである。当時の相撲興行はこういう色物を用意して、観客を目いっぱい楽しませようとしていた。これが、相撲の本質である。八百長なんってどうってことない。それで取り組みがおもしろくなるのなら、どんどんやってもらいたい。とてつもない技も、びしばし繰りだしてほしい。バック転くらいしないかな。
 と書くと、神聖な国技になんてことを言うのだと目くじらを立てる人がいる。相撲の素人さんたちだ。
 国技を辞書で引くと、こう記されている。三省堂の大辞林から引用しよう。

 【国技】
 その国に古くから伝わっている特有の武術・技芸・スポーツ。日本の相撲など。

 これだけのことである。つまり、古ければなんでもいいのだ。とくに国家認定されていたりするものでもない。法律で「国技」が定義されているわけでもない。
 いつのころからだろうか。相撲が国技を名乗りはじめた。これは相撲の興行をやっている連中が勝手に名乗ったのである。このことに問題は何もない。辞書の記述どおり、古ければ、どの武術やスポーツにも、そう名乗る資格がある。だから、相撲が国技というのは相撲の勝手だ。ただし、その名乗りに権威はかけらもない。それに伴う価値も、どこにもない。国技なんて、どうでもいいことなのである。国技だから、真剣でなくてはいけないということは皆無だ。国技だから、ショー化してはいけないという理屈も成り立たない。相撲はもともと興行であり、ショーであった。それは国技を名乗ってからも同じだ。変化は見られない。また、変化する必要もない。ショーなら、勝負は二の次である。重要なのは、その興行でどれだけ客を楽しませることができるかどうかだけである。おもしろくするためなら、八百長だろうが、しょっきりだろうが、子供の土俵入りだろうが、なんだってすればいい。星をうまく調節して千秋楽を盛りあげ、客を熱狂させる。これはエンターテインメントである相撲では、絶対的に必要とされる重大な要素である。問題なのは、これを個人的レベルでやって、逆に相撲をつまらなくしてしまうことだ。そのためにも、これらの星の調整は興業側である協会がきちんと管理しておこなわなくてはいけない。雑誌は、なんら意味のない相撲八百長告発など、さっさとやめてしまうべきである。やめて、かわりに、つまらない相撲をどんどん弾劾してほしい。もっとおもしろくしろ。もっと楽しませろと叫んでほしい。プロレスではしょっぱい試合を見せているレスラーはすぐに人気を失う。会場を盛りあげることのできない団体は、あっという間につぶれていく。実に健全な世界だ。相撲もそれに倣わなくてはいけない。それが国技としての相撲に課せられている正しい使命である。舞の海や小錦に、なぜあれほど人気が集まっていたのかを考えれば、誰にでもわかることだろう。





 5月16日、近所の神社

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 森首相がまぬけな発言をした。この首相は北海道選出のS議員と並んでお馬鹿であるという噂が以前から政界ではあったので、驚くほどのことではない。でるべくしてでた、情けない発言である。そういう意味で石原知事のそれとは根本的に異なっている。
 とはいえ、「日本は神の国である」という認識自体に誤りはない。
 重要なのは、この「神」という言葉である。
 日本の神は、英語でいう「GOD」ではない。これは誰でも知っているはずのことだが、この手の発言がでると、マスコミや識者というのは、すぐにそのことを忘れてしまう傾向にある。英語で日本の神を表現するのにもっとも近い単語は「SPIRIT」あたりだろう。キリスト教的な「全知全能の神」を想像すると、大外れになる。だが、一部には、この概念をわざと混同し、話を意図的に歪めようとする人びとがいる。困ったことだ。こういった人びとは、森首相とはべつの意味で、積極的に排除していかなくてはいけない。
 日本は、神様だらけだ。ありとあらゆる場所に神が満ち満ちている。なにしろ、石ころにも、川の流れにも、森の木々にも神が宿っている国である。神がいない場所を探すほうがむずかしい。これについて知るには、わざわざ専門書を読む必要すらない。「もののけ姫」というアニメ映画を見るだけでいい。というか、最初からみんなわかっている。でなきゃ「立ち小便するな」という記号に鳥居を使ったりはしない。日本とは、そういう国なのだ。だから、首相が「日本は、石にも山にも竈にも狐にもデパートの屋上にも神様のいる国だ」と素直に語れば、問題は何もなかった。ま、こういう話し方をしても、先にも述べたように「GOD」と「SPIRIT」を同一視して因縁をつけようとするやからがでてくるかもしれないが、そんなのは一瞬で撃退できる。なにせ、どの家でも、外出して数分も歩けば神社や祠にでくわす国なのだ。いちいち証明するまでもなく、そこらじゅうに神があふれている。これで「神の国ではない」なんて言ったら、そいつは森首相以上の大馬鹿である。
 今回、森首相発言のいちばんおかしなところは、「神の国」の上に「天皇を中心とした」というふざけた一言をつけ加えてしまったことだ。これはもちろん、現代の概念ではない。また、古代の概念でもない。日本はある時期、神を中心にしたり、仏教を中心にしたりして国家を運営してきた。が、それは天皇が中心になっていたということではない。天皇は、神や仏を尊ぶための信徒(氏子)の代表者だ。最高位の神主のようなものである。神主はいくら地位があがっても神主。神主がイコール神になることはない。むろん、中心にもならない。
 戦前、宗教国家による求心能力の高さに目をつけ、日本の神をむりやり「GOD」にしようと考えた一団がいた。そのために廃仏毀釈なんて暴挙までが発生した。これはもちろん、日本の伝統に反する行為である。だから、すぐにつぶれた。その概念は、日本人には馴染まない。キリスト教系の幼稚園、学校に通い、七五三に行き、初詣で仏像を拝んで、祭りに神輿をかつぐのが日本人である。「GOD」に対する厳密な信仰心というのは、かけらもない。上掲した写真の神社では、敷地の端に地蔵尊が立っている。こういうことは「GOD」の国ではありえないし、あってはならないことだ。瞹昧で、いいかげんで、教義らしい教義や、禁忌らしい禁忌もないのに、なんとなく生活に根づいてしまっている。それが日本の神である。この模糊とした神との付き合い方が、日本人は大好きなのだ。森首相の寝ぼけた発言への糾弾、おおいにけっこう。がんがんやってほしい。しかし、日本の神の概念を歪められることだけは納得できない。それについては、しっかりと監視していくべきであろう。日本は「神の国」なのである。





 5月24日、三鷹駅前

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 今年2月に治療した奥歯の状態がおもわしくなく、再治療で歯医者に行ってきた。歯医者は三鷹にある。バスで行くので、けっこう時間がかかる。何年か前に行ったときは、歯医者のあるビルの前で庵野秀明監督にばったりと出会ってしまった。こういうことがあるから、三鷹はおもしろい。歯の再治療は40分ほどで終わり、次回の来院も、不具合がなければ必要なしと言われた。珍しい。たいていは3回くらい通わないと治療が終了しないのに。
 というわけで、またしばらく三鷹に行くことはなくなってしまう。その記念に駅前の写真を撮ってきた。


 5月24日、調布駅前交番

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 歯医者からの帰宅、途中で降りずに、終点の調布駅までバスに乗った。写真の駅前交番は調布の名物である。なぜか建物の上部に丸い穴があいている。これはなんのつもりなのだろう。デザインにしても、ちょっとへん。右手に黄色い看板が映っている。これは「プロミス」の看板だが、夜になって交番の正面に立つと、穴の中にこの看板がきれいに入りこむという。なるほど、そういう狙いがあったのか。って、んなことねーだろ。とりあえず、今回は撮影できなかったが、つぎの機会では穴の向こうに燦然と輝く「プロミス」の看板を撮ってみようと思っている。





 5月29日、調布名物、激辛カレーの「まんぼう」

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 ぜんぜん外出しないので、近所のネタしか確保できない。でも、さっき駅前まで行ってきて、医者に薬をもらい、雑誌を買うついでにポークカレーを食べてきた。調布のカレーと言えば、「まんぼう」である。その名はインターネットでも「とんでもない激辛がある」ということで少し知られている(らしい)。この激辛チキンカレー、むろん、むかしわたしも挑戦した。わたしは辛いカレーが好きだ。かなり辛いカレーでも平気で食べる。多くの店で激辛を名乗るカレーを食べてきたが、どれもあっさりと腹に納めた。そのときも「簡単に片づけてやる」というつもりで店に行った。

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 激辛チキンカレーを注文すると、店の人が言った。
「ものすごく辛いんですよ。やめたほうがいいと思います」
 そう言われて「はい、やめます」と引きさがるほど、当時のわたしは従順ではなかった。「大丈夫です」と答え、カレーの皿がテーブルに置かれるのを待った。
 カレーがきた。食べようとして、顔を皿に寄せた。そのとき、いやな予感がした。辛いのだ、その湯気が。目がしばしばしてくるほどに。
 一口食べた。一瞬、いけると思った。が、それは大きな誤りだった。いきなり口全体から喉にかけて、炎が熱く広がった。
 これは、辛い。半端でなく辛い。うんざりするほど辛い。めちゃくちゃに辛い。
 半分までは食べた。しかし、それが限界だった。すみませんと、わたしは店の人に謝罪し、ギブアップした。
 帰る途中で、わたしは気分が悪くなった。胃がきりきりと痛み、道の脇にあった公園のベンチにすわりこんだ。しばらく動けなかった。
 帰宅したわたしは「こういうカレーに挑み、敗れ去った」とパソコン通信のBBSに書いた。すぐに反応があった。それほどのカレーなら、自分たちも食べてみたいという声があがった。
 さっそくOFF会が決行された。「激辛カレー チャレンジOFF」。参加メンバーは……何人だったっけ。10人以上はいたはずだが、よく覚えていない。
 結果は、完璧な完食がひとり、ちょっとずるい完食がひとり(ルウにラッシーをまぜて、しのいだ)。あとは全滅であった。完璧完食者は女性である。あっという間に食べきった。この人は、このカレーが気に入り、その後も何度か「まんぼう」に通って激辛を食べたという。人間の範疇には入れたくないね。べつの生物である。
 実は先日、久しぶりにチャレンジャーがふたりほどあらわれ、この店に案内をした。このふたりは、みごとに完食した。でも、もう二度と食べたくないと言っている。これがまあ、ふつうの激辛マニアの素直な感想であろう。当然、わたしは通常のチキンカレーを食べた。激辛を食べ終え、汗まみれで息もたえだえになっているふたりに対し、店の人はこう言った。
「あ、大丈夫だったんですね」
 客にそんなことを言うレストランって、ほかに存在しないぞ。





 6月8日、選挙ポスター掲示板

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 近所の公園に、衆議院選挙のポスター掲示板が立てられていた。今回のはすごく小さい。候補者が絞られているのかな。泡沫候補が少ないのは、ちょっとさびしい。
 今回の選挙では落選運動が話題になっている。賛否があるけど、選挙システム自体が、落選させたい人をチェックする方式になっていないから、運動としてはあっても問題ないんじゃないだろうか。そもそもこの程度の運動で、支持者が離れてしまうのなら、それはその候補者がよくないのである。この運動に関して、今週の週刊文春は「霞ヶ関官僚アンケート 落選させたい議員」という記事を載せていた。だんとつの1位になったのは、先に、このコーナーでわたしが「この首相は北海道選出のS議員と並んでお馬鹿であるという噂が以前から政界ではあった」と書いた、S議員その人である。やっぱり見ている人は見ているのね。北海道の有権者は、この人を自分たちの代表者としていることを恥じるべきだと思う。まあ、こういう人に限って、日本のことや世界のことはかけらも考えていなくても、地元のことだけは四六時中考えているので、選挙だけはけっこう強かったりする。でも、もうそういう時代じゃない。イデオロギーに偏った落選運動には賛同できないが、このように人を見ておこなう落選運動には共感を持つ。
 実はわたし、自分のホームページを開設する前に、こういうところもあっていいなと思っていたページがある。
 国会議員の行状暴露ページだ。
 地元の人たちが見かけた国会議員の怪しい行状……賭博狂とか、異性癖が悪いとか、特定企業との癒着とか、公費で遊びまくっているとか、暴力団と関係しているとか……を日記やレポートの形で告発するページである。
「○月×日 A党の凸山凹平衆議院議員(Q県選出)は、Bカントリークラブで賭けゴルフをやっていた。1ホールごとに何十万円という額の動く、本格的な賭博である。同行者はホステスのC子さんほか3名」
 なんて感じ。一種の「議員興信所」である。もちろん、反対勢力による意図的な中傷誹謗を避けるため、報告者の身許は掲載前に確認させてもらい、賛助会員となっていただく(ただし、公開はしない。サイト上では匿名となる)。また具体的な証拠があるものを優先して掲載する。むろん、対象となるのは全政党、全国会議員である。イデオロギー偏重は絶対に回避しなくてはならない。でないと、信頼を失う。こういうことは、個人や主義主張に対する好き嫌いでやってはいけない。それは不可欠の大前提となる。
 技術的にはいろいろとむずかしいし、法律的な問題もあるような気がするが、せっかくインターネットといういいメディアができたのである。これを活用しない手はない。有権者がいちばん知りたいのは、この国会議員が本当にまともな人なのかどうかという情報だ。それは、短い選挙運動期間ではほとんどわからない。重要なのは、かれらの日常、いつもの生の姿そのものである。それがわかれば、候補者の評価は大きく変化する。当選してから不祥事が発覚という手遅れ的な事態も減らすことができる。これについては、横山ノック前大阪府知事の醜い例をひとつ挙げるだけで十分だろう。やるには、それなりの組織がいるので、たぶん実現はしないと思うけど、やる気のある人がいたら、実行してほしい。応援はする。





 6月14日、調布駅前の看板

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 やだなあ。きてほしくないなあ。というのが本音である。でも、阻止などはしない。演説を妨害しようなどとも思わない。当然だ。森首相には、国民に向かって自分の意見を述べる権利がある。それを否定することは、誰にもできない。日本は民主主義の国なのだ。民主主義の大原則は「多数決」と「言論の自由」、このふたつにある。これは民主主義そのものといってもいい。いくつかの例外を除き、何かを決定するときに全員一致ということはほとんどありえない。対象となる問題が大きければ大きいほど利害が生じ、対立が生まれる。この場合、全員一致を原則としたらどうなるか。反対派を暗殺すればいいということになる。反対するやつがみんな死んでしまえば、全員一致で可決だ。それでよしとなる。これは冗談などではない。ヨーロッパの中世で実際に起きていたことだといわれている。反対派の領主は会議にでて「反対」と叫ぶと、自分の城に駆け戻り、防備を固めて立てこもる。殺されたくないからだ。その結果、未決議案がどんどん溜まり、何ひとつ決められないままに政治は破綻していく。そういうことがあったと聞く。
 民主主義は多数決を採用した。
 なにはともあれ、賛成者の多い方針を試してみよう。それがだめなら、「だめだ」という声が広がる。そうしたら、また裁決をすればいい。そのとき、「だめだ」という意見が強ければ、それが多数の人びとに支持される。そのためには、誰でも自由に「だめだ」と言える社会でなくてはいけない。言論の自由がほぼ無制限に保証されなくてはならない。
 これが民主主義である。よく「数の論理」とか「数の暴力」とか言って、多数決を否定するような政治家がいる。政党がある。民主主義のなんたるかを知らない人たちだ。何もかもが全員一致で決まってしまう、どこかの共産主義国家のような状況。これが「数の暴力」の世界である。声高に「数の暴力だ!」と叫んでも、なんらとがめられることのない、反対派が堂々と存在できる社会に「数の暴力」はない。それは立派な民主主義の社会である。もしも、こういった手続きに対して「数の論理」だとか「数の暴力」だとか言っている政治家がいたら、それは民主主義否定論者である。こういう人を議員にしてはいけない。落選させよう。
 きょう(6月15日)、こんなニュースが流れた。産經新聞の朝刊社会面から引用しておく。

 井沢元彦さんの県立高講演会中止要請
 青森市内の県立高校で十四日、作家の井沢元彦さんを講師に招いて「高校生のための文化講演会」(東奥日報社など主催、文部省後援)が開かれたが、事前に青森県教職員組合など三団体が「井沢氏は公教育の場にふさわしくない」などとして、主催者側に中止を要請していたことが分かった。井沢さんは「言論の自由を奪う行為」と県教組などの行為を批判している。
 中止要請は、県教組などの団体が東奥日報社に対して行ったもので、「井沢氏は『新しい歴史教科書をつくる会』の呼びかけ人で、憲法を否定する記述を繰り返しており、公教育の場にふさわしくない」などとし、「新しい歴史教科書をつくる会」を「日本軍の戦争犯罪について学問的な根拠もなく一貫して否定してきた。戦後の平和教育についても『自虐史観・洗脳教育』とレッテルをはっている」と批判している。
 講演会は青森市内の県立青森戸山高校と同青森東高校の二会場で予定通り実施されたが、中止要請について井沢さんは「言論の自由を、政治的な圧力で妨害することは許されない。人を教える立場の人間でありながら、民主主義の基本が全く分かっていない」と話した。
 以下略

 これは井沢さんが言われるように、明らかな言論封殺行為である。講演会を妨害している団体は、言論の自由が大嫌いな組織だ。誰もがなんでも自由に語れる社会を嫌悪している団体だ。だから、このように井沢さんの講演を妨害し、中止に追いこもうとする。大阪でひらかれた南京大虐殺に関する討論会に対して、これをやめさせろと日本政府を恫喝した覇権国家、中国のやり方とまったく同じである。かれらは自分たちの意に染まない意見を殺そうとする。自由に語らせないよう、あれこれ画策する。なぜそうなるのか? 論破できないからだ。論理でやり合ったら、負けてしまうからだ。思いだしてほしい。テレビドラマなどでよくあるシーンを。ワンマンな父親や社長が、子供や社員に言葉で言いまかされて反論できなくなり、叫ぶ。「うるさい。黙れ。何も言うな!」。叫ぶ人は、完全に追いつめられている。うしろめたいところがあり、それを見抜かれている。誤りを指摘され、にっちもさっちもいかなくなっている。こういうとき、かれらは言論を封じこめようとする。言葉を奪い、意見を述べられない状態に持っていこうとする。青森県の教職員組合がしたのは、これである。中国が日本政府に「不快な連中の言論を封じてしまえ」と詰め寄ったのも、これである。
 言論の自由を認めない社会に、民主主義はない。だが、日本には、このあまりにも簡単な原則に気がついていない人が意外に多い(気がつかないふりをして、つぶしてしまおうとしている人もいたりする)。そして、こういった人びとを支援し、その片棒を担いでいる政党までもがいくつか存在する。政党名は書かない。言わなくてもわかるだろう。そういう政党が、今回の衆議院選挙にも候補者をだしている。かれらは民主主義を嫌っている。言論の自由を憎み、多数決を否定している。そういう政党の候補者を当選させてはいけない。そういう政党が議席を伸ばすことを許してはいけない。
 思えば、わたしがこのように好き勝手に持論を発表していられるのも、言論の自由あってのことである。これを読んでいる方で、この意見に賛同できなくても、「こういう文章は抹殺してしまえ」とか、「こういうサイトはつぶしてしまえ」とか考えるような人は、ほとんどいないはずだ。しかし、世の中にはそういうことを平気でやろうとする人間、組織、国家が存在するのである。恐ろしいことだ。わたしたちは、何があっても、言論の自由を確保しなくてはいけない。それがなくては、民主主義が成立しえないのである。今朝、朝刊を読みながら、しみじみとそう思った。





 6月15日、有名ラーメン店

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 TV-Watchのほうで予告していた調布の人気ラーメン店「千ひろ」である。売りは限定12〜20食ほどしか提供されない「鯛骨スープラーメン(900円。大盛りは1050円)」である。数は、その日できあがったスープの量で決まる(らしい)。わたしはテレビ東京のラーメン王選手権で見て、通うようになった。最初に行ったときは11時半開店ということで27分に到着したのだが、すでに開店していて、ふたりの先客がカウンターにすわっていた。客はわたしのあとにもぞくぞくとつめかけてくる。人気の鯛骨スープラーメンは11時45分くらいに品切れになった。勝負は開店から15〜20分以内ということである。
 で、肝腎の味だが、ラーメンはうまい。鯛骨スープなので、魚だしの匂いと味がけっこう強く、魚嫌いとしては一口目でちょっと首をかしげた。しかし、不快な味ではない。結局、スープは全部飲んでしまった。いろいろな意味で味のバランスがいいのだろう。特筆すべきは麺のよさである。細麺は歯応えも申し分なく、絶妙にうまい。それと、店の人の応対がいい。丁寧で親切。これは重要なポイントである。私語禁止とかほざいて、店主がむすっとしている店は、いくら味がよくても話にならない。食は娯楽である。栄養補給だけなら、錠剤でも飲んでいればいいのだ。さまざまな形で料理を楽しみ、食べるから、食は文化となる。それを理解できていない人間は、まともな料理人とは呼べない。
 わたしは2回目からは、醤油ラーメン(600円)を食べるようになった。これに自家製さつま揚げを一緒に頼む。ナイスである。豚の角煮もうまいらしいが、こちらはまだ食したことがない。ギョウザの味は並みだった。
 なお、15日は店には入っていない。店の前で写真を撮っただけである。時間は11時50分くらい。ちょうど鯛骨スープラーメンが売り切れたころである。店は満員だった。しかし、写真を見ればわかるように、行列などはできていない。そういう意味では、通いやすい店である。





6月25日、投票所前でたたずむ出口調査員

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 東京22区の投票所、調布ヶ丘福祉センターの前に投票をすませた人がでてくるのを待っているテレビ朝日の出口調査員がいた。選挙はほぼ欠かさず行っているけど、出口調査員を見たのは、これがはじめてじゃないかな。見ていると、調査にはけっこう時間がかかっている。当然、誰かの相手をしているときに帰宅する人に対しては聞きとり調査ができない。うーむ、それでサンプルとして適切なものになるんだろうか。よくわからない。
 ところで、今回、やたらと早く当確を打っていたのは、TBSとテレ朝であった。とくにテレ朝は飛ばしていなあ。この程度の調査であれだけ早く結果をだしちゃって、本当にいいんだろうか。心配である。もっとも、候補者のほうもこの手の勇み足誤報に慣れてしまっていて、すべての局で当確がでない限り、バンザイはしないという方針を立てていた。やっぱ、恥はかきたくないもんね(そういえば、TBSが開票途中でだした最終予想の数字はけっこう大きくはずれていたような気がする)。




6月21日、某動物病院の診察台

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ふうちゃんの体調不良が発覚した。朝、行動がおかしいことに家人が気がついた。何度もトイレに行き、おしっこをしようとするのだが、ぜんぜんでないのだ。でも、昨夜はちゃんと排尿していた。見た目にも問題ないし、食欲もちゃんとある。もしかして、尿道結石かなと思い、医者に連れていった。そこで血液検査をしたところ、白血球の数に異常のあることが判明した。数値は以下のとおりである。

WBC
RBC
HGB
HCT
MCV
MCH
MCHC
444H
941H
13.3
45.9
49L
14.1L
29.0L
x10^2/μL
x10^4/μL
g/dL
%
fL
pg
g/dL


 とりあえず、似たような症状がないかなということで、ホームページをあちこち検索してみた。が、よくわからない。10歳以上の猫の場合、異常のないほうがおかしいと書いてあるページもあった。たしかにそうなのだろう。ドクターは、白血病の可能性は低いと言われた。しかし、心配である。今後の経過に留意したい。




6月22日、庭にひそむふうちゃん。

 niwa_fu.jpg 

 診断がでた。膀胱炎であった。とりあえず、薬で癒りそうである。よかった、よかった。なお、写真のふうちゃんは、数日前のショットである。しばらくは、こうやって庭で日光浴をすることもできない。室内で安静を強いられる。きっと毎日、文句啼きをするんだろうな。




 6月27日、しわが寄ってしまったふうちゃんの耳

 mimi.jpg

 ふうちゃんにあらたな病気が見つかってしまった。今度は外耳浮腫である。数日前に、ふうちゃんの右耳うしろにおかしなしわが寄っているのを発見した。さわってみると、耳の内側が腫れている。水が溜まっているような、ぶよぶよとした腫れだ。その腫れで皮膚がひっぱられ、しわが寄ってしまったらしい。で、きょう(29日)、膀胱炎の診察のときに一緒に見てもらったところ、外耳浮腫という診断がでてしまった。放置しておくと、どんどん浮腫が増えていき、ついには耳を切断してしまわなくていけなくなるという厄介な病気だとか。うーん、どこでそんな病気を拾ってきたんだ。耳を切断したら、ドラえもんになってしまう。そうしたら、体毛を青く染めなくてはいけなくなる。それはちょっと面倒である。って、ボケをかましている場合ではない。とりあえず、注射を打ってもらい、治療を開始した。この病気の予後についても、適時レポートしていく予定である。しかし、いきなり病気がつづくなあ。トホホ。




 6月29日、治療後の耳

 mimi2.jpg 

 注射を打ったら、しわの位置が変わった。耳の前に移った。このしわ、完全に消えてくれるのだろうか。




 7月5日、医者から帰宅

 kitaku.jpg 

 きょうの診察で、膀胱炎はほぼ完治していることがわかった。めでたし、めでたし。ついでに白血病と猫エイズの血液検査もしてきたが、いずれも陰性で、異常なし。外耳浮腫は、とりあえず、しばらく様子をみることとなった。診察を終えて帰宅してきたふうちゃんは、テーブルに積んであった経済学の本の山に顔面すりすりをおこなって喜びを表現した(本当か?)。でも、予防注射をうってきたので、外出は依然として、当分禁止。ストレスは、さらにつのっていくのであった。




 7月14日、薬

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 ふうちゃんにつづいて、わたしも体調を崩した。11日の夕方に喉が痛くなりはじめた。わたしは喉が弱い。こういうことはよくある。すぐに耳鼻咽喉科に行って、いつもの薬をもらってきた。通常は、これを2、3日服用するだけで直る。しかし、今回は違った。13日の昼ごろから発熱し、夜には38度を超えてしまった。平熱が35.8度前後のわたしに、この熱はとてもつらい。おまけに咳がでてきた。これもどんどんひどくなり、呼吸音に「ひゅうひゅう」とか「ぜろぜろ」という音が混じるようになってしまった。軽い喘息状態である。医者に行きたいが、木曜日は休みだ。仕方がないので、市販の咳止め薬(チミコデWシロップ)を買ってきて飲んだ。とりあえず、これが効き、咳は鎮まった。で、14日になってすぐに耳鼻咽喉科に行った。そうしたら、ドクターってば「喉から下におりちゃったら、内科の担当だよ」と言って近くの内科医院を紹介くれちゃったりするのである。とはいえ、こういう率直な医者はグッドだ。専門外の症状は専門の人にまかせる。これはドクターの基本である。これがきちんとできるドクターは少ない。
 さっそく紹介された内科に行き、新しい薬をもらった。写真の薬である。飲んだら、すごく効いた。でも、まだ完治はしていない。だから、テレビも寝室で見ている。いま現在(7/14 21:00)の体温は、36.8度。まだ平熱より1度も高い。



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